あらかわひょうぐてんともうします

沖縄




ダイビングは沖縄でしかやらない
当時飼ってた沖縄産海水魚がばたばた死んじゃってどーしよと思ったとき
そうだ、いっぺん自分か逆の立場になって海の中に入ってみたら
なにか飼うに当たって良いヒント掴めるんじゃないかな?
という思いもあって沖縄は阿嘉島のシーサーで取った

なぜここだったかというとライセンス取るとき
ダイビングのインストラクターしてる知り合いから
どうせ取るなら
あぁまた来たい。と思えるようなきれいなところで取れば
ずーっと続けられるよ。といわれたアドバイスと

千葉生まれの千葉育ちの私があるきっかけで千葉沖縄県人会
現沖縄倶楽部に所属してること
それにもう一つ、そのことをアドバイスしてくれた知り合いが
海外どこでも通用するライセンスはNAUIとSDSだよと言ってくれたこと
(注・10年以上前 その人CMASなんだけど)
今は関係ないと思うけど・・・
そんなことでシーサーで取った

結論は正解 当時通ってたジムでも取れたんだけどプール実習とかあんまり興味なかった
シーサーはいきなり海だった(それしかない)
顔つけただけでコバルトがすいすい泳いでるのが見えるし
港の横あたりの海中ちょっと進むだけで小型のチョウチョウやハリセンボンが普通にいた
それだけで知りあいの言ってくれた言葉の意味が理解できた

でもいろいろあってもう5年は行ってない
違う目的で本島には行ったのだけど阿嘉島には渡らなかった
夜、街灯がほとんどなくて真っ暗な道でけつまづいて歩いたのが懐かしい


慶良間  琉球エアコミューターって小さな旅客機から撮った阿嘉島上空
慶良間

ねこライン青


よく観光写真にもなる那覇瑞泉酒造脇の路地 那覇の町並みが遠くに見えてる沖縄らしい道
那覇 坂02


路地とか先の見えない坂道はいつもなんかどきどきする
この先になにかある様な気がして冒険心をくすぐられます
那覇 坂01

ねこライン青


戦史資料館にて
戦記



もう一つのひめゆりの塔


その日は忘れもしない
朝、偶然同じく沖縄に滞在中の友達からの電話で起こされた。 
「テレビ見て」なんて、寝ぼけた私に言う。おや?わざわざ電話なんてとちょっとびっくりしたけど、とにかく泊まってたホテルは 沖縄タイム を大切にという主旨から
部屋にテレビや時計がないので私はロビーに出た

阪神淡路大震災のニュースを見たのは安里にあるその沖縄ホテルの食堂テレビだった。
ショックだった。だって映し出される映像があんまりにも現実的ではなかったから。
その日は沖縄の戦跡巡りを予定していたのでなんとなく複雑な気がした。
日本がこの先戦争に巻き込まれたりなんて、そんなこと本当にあったら、
こんな風景がどんどん繰り広げられるんじゃないか、
なんて気さえした。

レンタカーで走り出すと暖かい風と空気で少しづつ心が落ち着いた。
沖縄では土地柄、鍾乳洞が多く、現地ではガマなんて言い方する
一つ一つ名前がついていてコウモリガマとかチビチリガマとか

戦史の中で特に南部は悲惨なことが多かったんだけど
中でも看護学生がこの鍾乳洞で兵隊や民間人のけが人を必死に助け、
自らの命の危険をかえりみぬ行為の中で若くして命を落としたという、
ひめゆりの塔ってお話が有名なんですけど、
私はそこを観光地化してる様はちょっと好きではないんですね
でも寄った。私には目的意識が違うという気持ちがあったから

実はもう一つの目的があった。
それはその反対側の畑の中程にあるガマだった
草むしてちょっと見つけづらいんだけどなんとか探して訪れた
とうぜんひめゆりの塔の前とは全然違っている訳なんだけど、
それでもお線香が手向けてあったりした

手を合わせ、ふっと見上げると天井から真新しい千羽鶴が下がっていた
そこには習志野看護学校一同って書かれてあった
胸が詰まった この人たちは本気で歴史を見つめに来たんだって思えたから

自分の地元の人たちだったのも嬉しかった。

こういう戦跡巡りしてること知ってる千葉の沖縄県人会の人が、
それについてちょっと書いてよと言われて少し書かせてもらったことがある
でもそれはこの事じゃなかったんですよね
実はもう一つ訪れたガマの事書かせてもらった

そもそもなんで太平洋戦争の時、みんな鍾乳洞に立てこもったかというと、
奥が複雑に入り組んでたし水も補給できたからなんだけど、
結局そこに爆弾投げられたり火炎放射器で焼かれたりして
多くの人たちが絶命した。

残された家族にとっては思い出したくもないかもしれないその場所
でもいまはそこから農家の人たちが畑に水を引いているんですよ
いろいろあったそんな場所も今はちゃんと生活の役に立ってる
それはそれで良い事だと思ったから、そう書かせていただきました


沖縄に行くと思うのは、みんな時間をものすごく上手に使ってる気がするということ
焦ることもなく、せかすこともなく、できることはちゃんとやる

だって那覇ですらバス停で時刻表見たら載ってないじゃないですか!
そこの商店のおばちゃんにバスの時間書いてないって言ったら、
来たら乗ればいいよって言われた

そうだよね、バス停があるんだかにらバス来るしね、なんて答えた私は、
そのときもう少し時間の観念がこっちとは違っちゃって 沖縄タイム になっちゃってた

ねこライン青


萬華の塔


わたしは幸いにして戦争というものの実感は無い

でもいつも危機感はもっている

戦没者は何も語ることはないがこうして奉られた現場をみると
ふっと自分の一番辛いことを思い浮かべる
きっとそれがこの方々の身に、そして家族の身に降りかかったことなんだと

ちょっと指を切ったって痛いでしょ
今なら薬つけて、だめならお医者さんにかかって一針二針縫ってもらえる
麻酔もあれば鎮痛剤もある
でもそんなものがなかったとしたら・・・・

事実はもっと悲惨だったはず。

こういった過去はけっして忘れてはならないことだと思いました

今年改修工事が終わったと何かで見た
これはその前に訪れたときのもの

沖縄のまっ青な空の下静かにたたずむ萬華の塔
沖縄 満華の塔


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